娘は近所の総合病院で誕生しました。
生まれてすぐ心雑音があるという事でNICUに入院となりました。その後、左室心筋緻密化障害が見つかりました。手術はできず投薬治療しかできないこと、いずれ心臓移植が必要になる確率が高いと主治医から説明を受けました。すぐに投薬治療を開始し、定期的に診察を受けていました。
生後2ヶ月でRSウイルスに感染しましたが、奇跡的に心不全は悪化しませんでした。1日中頭に汗をかいていて、手足は冷たく、息が苦しいのかミルクも短時間で少量しか飲めず、飲んでも吐くという状態で心配でしたが、主治医に大丈夫だよと言われるのでそんなものかと気にしないようにしていました。
このまま小康状態を保ったまま育ってくれると思っていたのですが、状況が変わったのが1歳のお誕生日前でした。
この頃から何度も入退院を繰り返し、どんどん心臓の状態が悪くなりました。子供病院の紹介状をもらい受診した所、そのまま緊急入院になりました。心エコーをしてくれた医師の表情がどんどん険しくなり、私も不安になりました。日に日に増えていく強心剤の量と反比例して、どんどん娘は喋らず動かなくなりました。
入院して数週間で、治療の限界を告げられました。このままで最期を迎えるのか、心臓移植をするために小児用補助人工心臓をつけ国内で移植を待機するのか、渡航移植をするのか決断を迫られました。数日しか猶予がなく、毎日泣きながら夫婦で話し合いを重ねました。当時は平均待機年数もでない程、小児の心臓移植が全く無く、何年かかるか分からない国内での待機を待っている間に、既にギリギリだった兄弟の心が壊れてしまうので、補助人工心臓をつけるならば渡航移植を目指す決断をしました。
その後、大学病院へ転院し小児用補助人工心臓をつける手術をしました。術後の経過が悪く中々ICUから出られませんでしたが、一般病棟に移った娘は食欲旺盛でよく笑いおしゃべりをするようになりました。
転院と同時に渡航移植をするための募金活動が始まり、多くの方の善意によって渡米ができました。渡米後は夫婦共に英語ができなかったためとても苦労しました。渡米時はボランティアさんが日本食を病院に差し入れしてくれたり、一緒に買い物に付き合ってくれたりと、心強いサポートをたくさんしてもらいました。また現地のママ友サークルも私達をとても気遣ってくれ、たくさん遊びに誘ってくれました。渡米後も様々なトラブルがありました。
感染症にかかったり補助人工心臓のポンプが故障しました。
渡米後6ヶ月で娘は移植をしました。
早朝に医師がきて、ドナーが見つかったこと、お昼に手術に入ることを話しました。その後病棟の看護師さんが代わる代わる泣きながら抱きしめてくれ、私も色々な感情で心の中がぐちゃぐちゃで一緒にずっと泣いていました。退院後は3ヶ月アパートで生活をし、帰国しました。
帰国後はりんご病にかかり月1で輸血のために入院をしたり、2日に1回39度の発熱をして風邪をひき、片道2時間かけて病院に向かいそのまま入院という日々が1年半程続きました。
りんご病が判明するまでは血液の病気かも知れないと言われ、全身に癌がないかCTをとったり、風邪の度に免疫抑制剤の血中濃度が不安定になり、緊急でステロイドを大量に点滴したりと毎日不安でした。移植コーディネーターからは3年位経てば娘も強くなって風邪も引きにくくなるから頑張ろうといつも励ましてもらいました。
移植3年目以降は今までが嘘のように本当にほとんど発熱をしなくなり、咳や鼻水が出ても踏ん張れるようになりました。免疫抑制剤の血中濃度も大きな波はなくなり、通院も月に1回くらいのペースで安定しました。
不安をあげればきりがありませんが、毎日楽しく、たまに友人関係に悩んでいる娘が、家にいて学校に行き友達と過ごしている、そんな普通の日常を過ごしている事に日々感謝をしています。
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