Episode.1 another story 生体間肝臓移植経験者 cosaさんのご家族のストーリー

わたしはドナーそしてレシピエントの妹で、移植を受ける側と提供する側両方の身内です。

そして、わたしは姉の生体移植ドナーになることができませんでした。


姉はずいぶん前から難病を患っていました。

姉にはまだ小さい子供がいて、仕事しながら家事育児を毎日必死にこなす中でどんどん病状が悪化していきました。


同じ子供を抱える身として、聞いていて何とももどかしく、体の為に環境を変えたら?とかやり方を変えたら?と何度も提案をしました。そんな簡単なことではないのはわかっていましたが、環境がかなりのダメージを与えているのは誰が見てもわかる状況でした。

でもきっと、そんな大変な中にも姉なりの考えや楽しみ、幸せがあるから変えなかったのだと思います。他者がどうこうできる事ではなかったのです。

体に限界が来た時は、やれることはできるだけやってあげようと思っていました。


姉が移植しないともう助からないとなった時、わたしはドナー候補になることを伝えました。兄も候補になりましたが、適合するかわからないのでわたしもその意志があることを伝えました。


わたしには小学生の子供が2人いますが、家事も何でもできる夫がいるので何でも任せられるから大丈夫という自信がありました。普段ネガティブなわたしですが、この時はなぜか使命感のようなものにかられ「やらなきゃ」ということだけを考えていました。大手術でリスクがあることもわかってはいましたが「使えるかもしれないものを使わないのはもったいない」と思っていました。


しかし、時間が経ち冷静になると不安がどんどん湧いてきました。

周囲に相談すると、「気持ちは分かる。でも自分の家庭をもっと大事に考えなくていいの?あなたも母親なのだから」と言われました。自分でも思っていたことでした。


もしわたしが挙手をしなければ姉は助からず娘の成長する姿を見れなくなり、姪は幼くして母親を亡くすかもしれない。

でも、もしドナーになってわたしに何かあった時に子供や夫に辛い思いをさせるかもしれない。


天秤にかけるわけではないけれど、まるで命の選択をするかのようで、決めることができませんでした。たくさんたくさん悩みました。

その時、何がきつかったかというと、その状況になったことでわたしや家族の生い立ちや精神状態が見えたことでした。昔から抱えている闇の部分や、置かれている環境など。

そして自分の弱さにも直面しました。


胸を張って一緒に乗り越えてやる!と言えないことを悔しく思いました。

でもそんな中でも、病気である姉は気丈に振る舞い、なるようになるさというポジティブな考えで明るくしていました。

自分が1番辛いはずなのに、周りへの気づかいを忘れず、できる範囲で自分も楽しもうとしていました。まるでこちらが励まされているようでした。


結局、わたしは今の自分の環境や体調などからドナー候補をやめることにしました。姉に伝えるのは本当に本当に辛かったです。

助かる希望をひとつ減らしてしまったことを申し訳なく思い続けました。


しかし、最終的に兄が生活改善に全力で取り組みドナーに適合、姉は移植手術を受けることができた為、時間はかかりましたが奇跡的に回復することができました。


姉も兄も計り知れない苦悩を乗り越え、同時にそんな2人を支えた母や家族もみんなで一緒に奔走した1年だったように思います。みんなの協力なしでは難しかったと思います。


姉の病気を機に『臓器提供の現実』を知りました。姉は奇跡的に移植手術を受けられましたが、世界中には移植を待っている方がたくさんいるということを。

「意思表示をしよう」と呼びかけることで一人でも多くの患者さんが助かるよう、微々たる力かもしれませんがこれからは行動していきたいと思います。


#臓器移植について話そうの会

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